新一が姿を見せなくなってからしばらく経つ。
たまに連絡は寄越すけれど、いつも推理小説のことや、クラスのみんなのことや、サッカーのことや、そんな変わりばえのしない話ばかり。
私の気持ちわかってるのかな。
そりゃあ電話をくれるのは嬉しいし、今の私にとって、とても大切な時間だよ?
だって、電話で言葉を交わしているそのわずかな時間だけ、何も変わらないあの頃の2人に
戻れている気がするから。
そう、新一がいなくなる前には当たり前すぎて、近すぎて、
気付けなかったこんな他愛のない会話。
今ではこんなにも大切な時間になっている。
でもね、新一。やっぱり姿を見せてくれなきゃ、不安だよ…。
今どこにいるの?元気にしてる?ちゃんとご飯は食べてるの?ねぇ、まだ事件解決できないの?
…早く帰ってきてよ、寂しいよ。
言いたいことは山ほどあるのに、それが重荷になってしまうことが恐くて
ついつい強がりを言ってしまう。本当は電話で話しているよりずっと寂しくて悲しくて心配で…
眠れない夜だってあるんだよ。
…でも。それでも私が今笑って過ごせているのは、不安に押しつぶされずにいるのは、
間違いなく彼のおかげ。いつでも私の側に彼がいてくれるから。
小さいのに頼りになって、それでいて時々すごく(ある意味普通の子供よりも)子供らしくて
可愛い不思議な子。
いつもコナン君が私の支えになっているんだなぁって思う。
私が記憶をなくしたときも、危険にさらされたときも、その小さな体をめいっぱい張って
私を守ってくれた。そんなに危険なことをして、心配だよ…。
でも、あの時のコナン君、カッコ良かったよ。
いざという時頼りになって、勇気があって、かっこ良くて…
時々コナン君にアイツの姿が重なる…。
もしかしたら、コナン君には気付かれているのかもしれない、私の気持ち。
新一に言いたくても言えない色々な言葉を、例え貴方には言わなくても。
そんな風に感じるときもある。私が新一のことを話しているときに見せる、コナン君の
ちょっと複雑な表情…。私のことを考えて、ただ黙って私の話に耳を傾けてくれているの?
コナン君は優しいよね。それなのに、ごめんね。私、その優しさに頼りすぎている気がする。
いつもいつもありがとう、一緒にいてくれて。
いつもいつもありがとう、私の支えになってくれて。
貴方のおかげで私は笑っていられる。
コナン君は私にとってかけがえのない存在。新一とはちょっと違う「大事」な人。
「ねぇ、コナン君?」
「なーに?蘭ねーちゃん。」
今日も可愛らしい笑顔で私を見上げ、応えてくれる。
…クスッ。
不意に笑みが零れてくるのを感じた。
「どーしたの?」
「ううん。あのね、ちょっとコナン君に言いたいことがあって…。」
「うん。」
いつもそうだけど、黙って私の答えを待っていてくれていると思うと、どこか安心できる。
「いつも一緒にいてくれてありがとう、小さなナイト君?」
「…へっ?」
きょとんとした顔でコナン君は私を見上げている。
そう、コナン君はまるで小さなナイト。
優しくてかっこ良くて、そして私を危険や、寂しさから守ってくれる。
その小さなナイト様に1つだけお願いがあるの。
私の前から突然いなくならないで…。
それは口には出さないけれど、一番届いて欲しい願い。
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ある晴れた日曜日の午後――
「ふぁぁ…」
最近発売された話題の推理小説を読みながら、この晴れやかな空にふさわしくない、大きな欠伸をする少年が1人――彼の名前は工藤新一。
帝丹高校に通う2年生。
だが、ただの高校生ではない。
若干16歳にして手掛けた事件は迷宮入りなしの高校生名探偵。
また、度々警察に手を貸し、事件を解決していることから、日本警察の救世主、平成のホームズなどとも呼ばれている。
しかし、彼を表すこの数々の代名詞も、ごく最近まで人々の記憶から忘れ去られようとしていた。
なぜなら、彼はそのごく最近まで、テレビや新聞、雑誌などの情報伝達機関は愚か、
彼の親しい人々の前からもぱったりと姿を消してしまっていたのだから。
いや、正確に言えば、謎の組織に薬を飲まされ、体を小さくされるという奇妙な体験をしていたのだが。
さて、今日新一は、珍しく何も用事がないため、自宅である工藤邸のリビングのソファーに長まり、推理小説を読んでいるのだ。
多少忙しくても、少しの時間を見つけては推理小説を読むことは昔からの彼の習慣となっている。
そして今、コーヒーの香りを漂わせながら、キッチンからリビングへと入ってきた人物がもう1人――
「もぉー、欠伸しながら読む位だったら、読書なんてやめたらいいのに。」
ちょっと呆れた様子で新一に話しかける、この少女の名前は毛利蘭。
新一と同じ帝丹高校に通う2年生。
都大会優勝という経歴を持つ空手少女。
だが、空手優勝者だからといって、そういうイメージを持ってはいけない。
彼女は、気が強い面もあるが、人のことを自分の事のように心配してしまう程の、人一倍心の優しい女の子でもあるのだから。
新一がしばらく姿を消していたときも、彼がコナンという小さな姿で側にいることも知らず(何度か疑ったりもしたが)、ひたすら新一の心配をしていた。
蘭もまた、久しぶりの新一の休日に工藤家へと遊びに来ているのだ。
もっとも、毎日の様に事件に呼び出される新一を心配して、何かと理由をつけ、蘭は度々工藤家を訪れているのだが。
そんな蘭の言葉に新一は、横になっていた体を起こし、
「しゃーねーだろ? この本、最近話題になってるから、どんなものかと買ってみたらトリックがイマイチでよー。犯人もわかっちまったし、なーんかもの足りねーんだよな。」
そう、小さな頃から自宅の書斎にある世界中の推理小説(そのほとんどが父・優作のものだが)を
読みあさっている新一にとって、ちょっとしたトリックやほんの少し意外性に富んだ程度の犯人では
満足できないのだ。
つまり、知らず知らずのうちに推理力を訓練されていたようなもので、今、手にしているこの本も、
半分も読まないうちに謎が解けてしまったのである。
「だったら、途中で止めればいいじゃない?」
見開けば、大きくて可愛らしい目を半分位にまで細めた蘭が言う。
「でも最後まで読まないと作者に対して失礼な気がするし、何より、もしかしたらここから先に オレの今まで出会ったことのない様な奇抜な展開が隠されているかもしれねーだろ?」
そう言う新一の、少し青みがかった瞳は、キラキラと輝いている。
推理小説がどれほど好きか誰が見ても明らかな程に。
「フッ。推理オタクの考えていることなんかわからないわよ。――はい!」
キッチンから持ってきたコーヒーをやや乱暴に手渡しながら、蘭は少しつまらなそうに、 だが、どことなく楽しそうに言う。
「ニヒヒ…サンキュ。」
そんな言葉に、新一は蘭を見上げ、まるで小さな子どもの様に笑った。
その表情からは、とても犯人を監獄へ送りこむ程の論述を披露する少年には見えない。
本人は気付いていないだろうが…。
そして手にしたコーヒーを一口飲み、また推理小説へと視線を戻した。
どうやらこの本の展開にも満足できる何かを見つけたらしい。
数十分後、本の世界へと入り込んでいる彼がいた。
数時間後――暖かかった陽の光も西へ傾きかけた頃
新一は、何かに気付いた様に顔を上げた。
(何だろう?何か違和感が…。)
先ほどから新一は本に集中しつつも、どこかいつもと違う感じを覚えていたのだ。
(うーん…部屋の中は別にいつもと変わらないし、蘭はキッチンにいるし、 俺も別に変わった所もないし…ま、いっか。)
そんな風に自分の直感を軽く流して三度本と向き合おうとした、その時。
ブルブル…
ポケットに入れている携帯電話が騒ぎ出した。
新一は嫌な予感がする。
こういうたまの休日に、こういう家でのんびりしている時に、そして蘭と一緒にいる貴重な時間に、
そういう時に限って彼らは電話をくれる。
まるでそうなることが宿命でもあるかのように。
まぁ、そんな事を言いつつも、事件と聞けば何を差し置いても現場へと急行する自分がいるのも
事実だが…そんな事を考えながら、携帯電話の着信画面を見ると、予想通り「目暮警部」の文字。
新一は、出ようか出まいか迷ってしまった。
何度も言うようだが、今日は久しぶりに取れた休日。
しかも蘭も来てくれている。自分から誘っておきながら、
いつ帰ってくるかもわからない工藤家に蘭を1人残して出掛けるだとか、
「事件が起こったから帰ってくれ」と言うだとか、そんな事できるはずがない。
しかしもしも事件であれば行かなければならない…
考えた挙句彼の出した結論は…
(と、とりあえず出なきゃマズイよな。事件の依頼であるとは限らねーし。)
この場合、普通に考えると事件の依頼である可能性の方が確実に高い。
目暮警部と言えば、新一に電話を掛けてくることなど、事件に行き詰ったとき位なのだから。
そして新一はというと、事件があればどんな所へでも駆けつけてしまうほどの、
よく言えば正義感溢れる少年、悪く言えばただの推理マニア(笑)
つまり、事件の依頼があれば最後。
断れることはまずない。
「…はい、はい。そうですか。ではすぐにそちらへ参ります。」
今日の電話もやはり事件の依頼。
先程の少年らしい表情とは打って変わって、厳しい、大人びた表情へと変わる。
ピッ。
(さーてどうするか…)
「わっ!」
新一は思わず声を上げて立ち上がった。
なぜなら顔を上げると、今までキッチンにいたはずの蘭が目の前にいたのだから。
「ど、どうしたんだ?蘭。」
あまりにも突然のことだったため、思わずこんなことを聞いているが、新一にはわかっていた。
今、蘭がどういう気持ちでいるかを。
少なくともわかっているつもりだった。
そうでなければ警部からの電話に出ることを躊躇ったりしない。
「し・ん・い・ち~?」
怒っている。
蘭は明らかに怒っている。
「今の、警部からよね?」
「あ、ああ。」
「それじゃあ、すぐに行くって現場ね?」
「…」
新一には答えることができない。
答えてしまったら、その後どんな空手技がとんでくるかわからない。
いや、それならまだいいが、
悲しみを堪えた表情で自分を送り出す蘭を見ることほど辛いことはないのだから。
もし笑顔で送り出したとしても、その後、必ず悲しい表情をしていることに新一はいつも気付いていた。
「どーなの?新一!」
だが、蘭は答を聞くまで引かない勢いだ。
一度勢いがついてしまった蘭を中々止められないこと位、長年の付き合いから新一にはわかっている。
観念したかのように新一は重い口を開いた。
「え、ま、まぁ…」
後ろめたさを隠しきれず、曖昧な返事になりながら。
「へーそうなの、ふーん…」
そのまま黙り込んでしまった蘭。
(マ、マズイ!まさか泣…)
新一は背筋に冷や汗が流れるのを感じた。
コイツの涙は見たくない。
「あ、あの、蘭…」
下を向いてしまった蘭の表情を見るため、新一が顔を覗き込もうとする。
、と勢いよく顔が上がり…
「いつも、いつも、事件事件事件!今日も私を置いてけぼりにする気ね?
今日という今日は許さないんだから!覚悟しなさいよ!ハァァァァァ…」
(空手か!)
泣いていなかったことに安心しつつも、今度は身の危険が迫ってきたため(笑)、 新一は蘭の空手技を交わそうと素早く身構えた。
…が。新一の予想は見事に外れた。
「なーんてね。」
「…へっ?」
「冗談よ、冗談。早く行ってきなさいよ!すぐに行くって言ったんでしょ?
私も急いでキッチンとか片付けてくるから。」
新一の今までの悩みも知らず、蘭はいつも通りの明るい口調で事件へ行くよう急かしている。
顔に満面の笑みを浮かべながら。
その時、新一には、ようやく今日感じていた違和感が何であったのかがわかった。
そう、蘭である。
いつもの蘭なら、推理小説を読んでいる新一に文句の一つや二つ言う。
いつもの蘭なら、たとえ彼が小説に集中して聞いていなくても、何度も話し掛ける。
そして、いつもの蘭なら事件で出て行く新一を満面の笑みでは送り出したりしない。
「なぁ、蘭?」
「なーに?」
キッチンへ向かおうと、新一に背中を向ける状態になっていた蘭が振り返る。
陰りのない笑顔だ。
「あのさ、なんか今日のオメーいつもとちがわねー?」
その笑顔が眩しい位で、新一は無意識に視線を逸らして質問する。
「はぁ?」
「いや、オメー、オレが小説読んでてもいつもお構いなしに話し掛けてくるし、
事件で出るとなれば泣きべそかくのに今日はそういうのないから。」
実際頭の中で考えている事を口にするのは照れくさくて、少し意地悪い表現で言う。
「なによ、それじゃまるで私がいつも我侭言ってるみたいじゃない。」
蘭は少し不貞腐れた様な表情で言った。
しかしすぐに表情は和らぎ、言葉がつなげられる。
「…でも、少し変わったかなって自分でも思うよ。ほんの少しだけね。」
新一は蘭の方を見ながら、黙ってその言葉に耳を傾けている。
「私ね、新一がいない間すごく辛かったよ。
小さい頃からずっと隣にいるのが当たり前だったから寂しくて仕方なかったし、
私に何も言わずにいなくなった新一を腹立たしくも思った。
たくさん心配もした。
涙も、たくさん…」
それを聞いて新一の顔は曇りがかった。
嫌というほど知っている。
怒っていたのも、心配してくれていたのも、何度も涙を流していたことも。
すべてを、コナンの姿で見つづけてきたから。
そしてそれが全部自分のせいであることも。
その度に何も出来ない自分に気付かされてきた、新一にとっても辛い日々。
そこへ、蘭は、恥ずかしそうに、うつむき加減に言葉を紡いだ。
「でも、だからかもしれない。
何の変わりもないように思える、昔からの何気ない日常が
とても嬉しく思えるようになったの。
こういう普通の休日に、新一は推理小説を読んで、
私はキッチンで何か作ったり片づけしたり…
でも途中で目暮警部からの呼び出し。
ちょっと寂しいけど、とても幸せよね。」
以前と変わらない日常―それが何より幸せだと気づけるのは、
もしかしたらそれを失ったときなのかもしれない。
小さいけれど、とても大切な幸せに気づいた二人は、 お互いを見つめあい、やわらかく微笑みあった。
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見上げれば、澄んだ青空に白い雲
顔を撫でるやさしい風
耳へと届く、安心できる聞き慣れた音
以前と何の変わりもないはずなのに…
「じゃーな、コナン!」
「またね、コナン君。」
「また明日、学校で。」
「じゃあ…」
「オゥ!」
小学校からの帰り道、少年探偵団の面々と別れたあと、僅かに訪れる新一としての時間。
少年探偵団の歩美、光彦、元太といるときは常に騒がしい。
彼らは、事件と聞けば目を輝かせ、危険もかえりみず好奇心のみで行動している。
危険にあわせまいといくら策を練っても、必ず最後は付いてくる。
そのため、新一であるコナンがどれだけ苦労をしているのか、若干7歳の彼らに気付けるはずもない。常に黒の組織を意識しながら子どものふりをし、なおかつ子どもたちの行動にも気を配る日常の中には
心の休息というものはないのかもしれない。
そんな毎日が嫌なわけではない。
子どもたちといると、好奇心旺盛で危険ということはあまり頭になかった、
自分の子ども時代を思い出す。
ときには実年齢を忘れ、一緒に走り回ってしまうことも。
子どもであることによって、解決できた事件も多々あった。
事件の容疑者や関係者は、相手が子どもだと油断する傾向が強く、
警察関係者や探偵には漏らさないことでも簡単に話してしまうことがある。
その結果、犯人逮捕につながることも少なくない。
また、子どもだから入り込める場所も多い。(逆に大人にしか首を突っ込めない場合も多いが。)
だが、そうは言っても本来は高校生。
そして一番の願いは元の身体に戻ること。
たまには、子どもにしか見られることのない、偽りの日常の中から逃げ出したくなる。
自然と足が、毛利探偵事務所とは別の方へ向かって行く。
青い空の下、目的地はなく、足の進む方向に逆らわず行く。
吹く風は、優しく顔を撫でる程度の心地よさ。
小学生の下校時刻、場所は裏路地、人通りも多くはない。
今日は絶好の散歩日和だ。
でも。なぜだろう、足取りが重い。
いや、本当は知っている。
こんなに空が青いのに、こんなに空気は清々しいのに。
こんなに気分が晴れない理由はひとつだけ。
同じ環境の中にいるから。
前よりもずっと近い場所にいるから。
わかってしまった幼馴染の気持ち。
生まれてから現在までずっと、もしかしたら家族よりも長い間隣りにいるかもしれない幼馴染の彼女。雨の日も風の日も、むせ返るように暑い日も凍えるように寒い日にも、
いつも変わらない響きのよい音で、怒ったり、笑ったり、喜んだり、ときには泣いたり。
同じように変わらない、この住み慣れた街に繰り返される日常の中、
すっかり彼女を知り尽くしていると思っていた。
でも、実際は違った。
小さくなったことで初めて知った彼女の一面。
周りに花が咲きそうなほどの華やかな笑顔に隠された、弱音や涙。
そうさせているのは紛れもなく「新一」で。
「コナン」にとっては蘭に対する環境は変わっていないが、蘭にとってはそういう意味での環境は
変わってしまったから。
全く姿も見せない幼馴染を心配し、影ではいつも泣いている。
辛い目にあわす事が一番つらいから
泣き顔は見たくないから
いつも笑っていて欲しいから
それを守るためなら自分はなんだってしてみせる
それは昔から変わらない気持ち。
蘭の両親が別居したとき、泣きじゃくる彼女の側で、笑顔を取り戻そうと必死になった。
ひとしきり泣いたあと、見せてくれた笑顔が、その成果かどうかはわからないけれど。
今も、正体を隠しているのは、もし万が一にも黒の組織に正体がわかってしまえば、
彼女も標的の一人にされてしまうから。
彼女に真相を話したとして、誰かに正体をばらすというようなことは絶対にあり得ないが、
組織の影に怯えながら生きていけば、笑顔は消えてしまうから。
笑顔を守るためには正体を隠し続けることしかできない。
それが原因で、もし蘭の心から「新一」が消え失せることになったとしても
だが、本当にそうなのだろうか、本当に「コナン」は蘭を守れているのだろうか。
笑顔を守るために正体を隠しているはずなのに、
正体を明かせないことで泣き顔を増やしているのではないか。
笑顔は絶えていないけれど、涙も絶えていない。
それに、もし本当に蘭を組織から守ろうとするのならば、電話や、メールをしているのは危険だ。
いつ、新一の生存が組織に洩れるかわからない。
それならば、いっそ蘭と新一の接点をなくしてしまったほうが…。
そんなことは無理だ。
人一倍心配性の蘭が泣くから?
いや、それだけじゃない。
自分も蘭の声が聞きたいから。
「コナン」としてじゃない、「新一」としてその声を聞きたいから。
いつも隣から、当たり前に自分に向けられていた声、それを失って寂しいのは、蘭だけではない。
「新一」という人間が世間から姿を消している今、
どこにも身寄りがない、この小さな少年が「新一」として存在していられるのは、
紛れもなく蘭のおかげ。
二人の電話の中でのみ「工藤新一」は存在できる。
いつかもし蘭の心から「新一」が消え失せることになったとしてもかまわない。
何よりもその笑顔を守りたい。
そのために、「コナン」として、精一杯の力で守り抜く。
だから、それまでの間は、消え失せてしまう前までは、どうか
「コナン」の中の「新一」を生かしておいて欲しい。
*タイトルはどなたか(忘れた)のCDから。
written by みなみ
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2月14日
蘭ちゃんの家に遊びに来た新一くん。
ピンポーン
「オゥ、ボウズお前か」
出てきたのは蘭ちゃんのお父さんでした。
お父さんは、新一くんが遊びに来るといつもちょっと不機嫌そうな顔をします。
今日も眉間にしわをよせています。
「蘭ならいるぞ。台所で何かやってるから中に入って待ってろ」
でも今日も家の中に入れてくれました。
ほんとうはやさしいおじさんであることを新一くんは知っています。
新一くんが居間に入ると、台所から甘い香りをのせて、楽しそうな蘭ちゃんとおばさんの声が聞こえてきました。
「できたぁ!」
「あら。ちょっと焦げちゃったみたいだけど、中々うまくできたじゃない」
「おーい蘭、ボウズが来てるぞー」
おじさんが台所に向かって、蘭ちゃんを呼んでくれました。
「えっ!? 新一? ちょっとまって すぐ行くから」
少ししてから、エプロン姿の蘭ちゃんがお皿をもってやってきました。
「今ね、お母さんと一緒にクッキーを焼いてたの」
食べてみて、と言ってお皿を新一くんに差し出しました。
お皿の中にはちょっといびつな形のチョコチップクッキーがたくさんのっています。
その中のちょっと大きいクッキーをひとつとってみました。
蘭ちゃんがにこにこしながら言います。
「今日はね、バレンタインデーなんだって」
バレンタインデーというのは、おんなのこが好きなおとこのこにチョコレートを贈る日です。
新一くんはそれを知っていたので、その言葉にどきどきしました。
蘭ちゃんはもしかして新一くんのことを……?
ひとくち食べてみると、ちょっと堅くて苦かったけど、大好きな蘭ちゃんが自分のために作ってくれたことを思うと、そんなこと気になりませんでした。
言葉で言い表せられないほど嬉しい気持ちでいっぱいです。
一生懸命蘭ちゃんにその気持ちを伝えようとしたけれど、うまく言葉が出てきません。
戸惑っていると、蘭ちゃんが言葉を続けてきます。
「新一知ってる? バレンタインデーには、お世話になっているひとにおかしをプレゼントするんだよ。だから、あとで新一のおじさんとおばさんにも持っていってね」
その瞬間、新一くんは固まってしまいました。
新一くんの特別な人は蘭ちゃんだけです。だから特別な人というのはひとりだけだと思っていたけれど、どうやらそれは違ったようです。
蘭ちゃんにとって、特別な人は新一くんだけではなく、他にもたくさんいたのです。
自分だけが特別ではないことにちょっとがっかりした新一くんでしたが、「おいしい?」と何度も聞いてくる笑顔の蘭ちゃんを見ていると、自然と微笑みがこぼれてきました。
いつもよりちょっとだけ素直になれそうな気がします。
「まぁ、マズくはないんじゃねーの?」
*この絵の裏設定(笑)
written by みなみ & まきの